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大阪地方裁判所 昭和47年(行ウ)69号 判決

原告 増成啓人 外四名

被告 大阪府教育委員会

主文

原告らの請求は、いずれもこれを棄却する。

訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告ら

被告が、昭和四七年九月一日付でなした原告増成啓人を吹田市立第六中学校教諭に、原告松田仁司を同市立第一中学校教諭に、原告小川光二郎を同市立青山台中学校教諭に、原告阿部誠行を同市立高野台中学校教諭に、原告服部良子を同市立山田中学校教諭にそれぞれ補する、との処分をそれぞれ取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決。

二、被告

主文同旨の判決。

第二、当事者の主張

一、請求の原因

1(一)(1) 原告増成は、昭和三〇年四月吹田市公市学校教員に任ぜられ、同四四年四月からは同市立第二中学校(以下、吹田二中という)教諭として社会科を担当し、同四七年度においては同校一年九組の学級担任をしていたものである。

原告松田は、昭和三六年四月吹田市公立学校教員に任ぜられ、同四二年四月より吹田二中教諭として国語科を担当し、同四七年度においては同校三年国語科を担当していたものである。

原告小川は、昭和三八年四月吹田市公立学校教員に任ぜられて以来、吹田二中教諭として数学科を担当してきたが、同四五年度以降同四七年度に至るまで同校特殊学級担任をしていたものである。

原告阿部は、昭和四二年四月吹田市公立学校教員に任ぜられて以来、吹田二中教諭として保健体育を担当し、同四七年度においては同校一年一一組の学級担任をしていたものである。

原告服部(旧姓土肥)は、昭和四六年四月吹田市教育委員会社会教育課非常勤嘱託として採用され、同市光明町学童保育指導員をしてきたが、同四七年四月、同市公立学校教員に任ぜられ、吹田二中教諭として国語科を担当し、同校一年国語科を担当していたものである。

(2) 原告らは、いずれも昭和四五年一〇月に自主的民主的な同和教育を守り発展させることを目的として結成された大阪同和教育研究サークルの積極的な会員であり、同四六年九月に部落問題の自主的民主的科学的な研究調査活動を通じて未解放部落の完全解放に寄与することを目的として結成された吹田部落問題研究会の会員であるし、また、原告松田は、右大阪同和教育研究サークルの運営委員及び吹田部落問題研究会の会計、原告増成は、吹田部落問題研究会の事務局長、原告小川は、吹田市教職員組合吹田二中分会の昭和四七年度分会責任者の地位にあるものである。

(二) 被告は、府費負担教職員である原告ら吹田市公立学校教員に対する任命権者であるところ(地方教育行政の組織及び運営に関する法律三七条)、同法二六条による事務委任を定めた「府費負担職員の任免その他の進退に関する事務の一部を市教育委員会教育長に補助させる規則」(大阪府教育委員会規則第五号)に基づく、「市教育委員会教育長が行う事務補助執行に関する規程」(大阪府教育委員会訓令第二号)二条二号により、「府費負担教職員(校長を除く)の配置換に関する事務」を吹田市教育委員会教育長に補助執行させているものである。

2 被告の前記補助執行者である吹田市教育委員会藪教育長(以下、単に藪教育長という)は、吹田二中に勤務する原告らに対し、昭和四七年九月一日付をもつて、被告名で原告増成を吹田市立第六中学校教諭に、原告松田を同市立第一中学校教諭に、原告小川を同市立青山台中学校教諭に、原告阿部を同市立高野台中学校教諭に、原告服部を同市立山田中学校教諭に補する旨の各転任処分(以下、本件転任処分という)をなした。

右転任処分の理由とするところは、「吹田二中は、府教育委員会の指定を受けたいわゆる同和教育推進校であり、吹田市教育委員会は、同和教育基本方針及びその具体的政策を定めて同和教育を推進してきたところ、原告らが同和地区の住民との話合いを十分行なつていないことは、同和教育推進校たる吹田二中教諭として適当でない」というにある。

3 しかしながら、本件転任処分には、次のような違法があり、取消を免れない。

(一)  本件転任処分は、憲法二三条、二六条、教育基本法六条二項、一〇条一、二項に違反した違法がある。

(1) 原告らの勤務している吹田二中には総生徒数約一、四〇〇名、教員約六〇名がおり、同校の校区には同和地区があり、同地区から通学する生徒数は約八〇名である。

(2) 昭和四七年六月二六日午前九時四〇分ごろ、部落解放同盟光明町支部(以下、解同光明町支部という)の支部員を中心とする百数十名の者が、吹田二中へ押しかけ、同校の教諭である原告服部を一昼夜にわたつて監禁し、さらに、同原告を救出しようとした同じく同校の教諭である原告阿部に対しても、暴行を加えるという異常な事態が発生した。

そして、解同光明町支部員らは、その後も連日にわたつて多数で同校に押しかけ、白昼公然と全校生徒の前で暴力を振うなど、両教諭に対し監禁、暴行、傷害、授業妨害などを繰り返して行い、さらには、職員会議場に乱入し、原告らを初めとする同校の教諭を糾弾と称してつるし上げ、同校を全くの無法状態と化せしめた。このような授業妨害を初めとする異常な状態は、昭和四七年七月八日ごろまで継続された。

これらの事態は、原告服部が、吹田市の教員として採用されるに際し、解同光明町支部の支部長高田登美雄(以下、高田支部長という)に、「解同光明町支部の指導と助言のもとに解放教育に取り組む」旨の誓約書を提出させられ、吹田市教育委員会同和教育指導室長ら立会の下に、高田支部長の推せんを得て採用されたものであるところ、高田支部長を初めとする解同光明町支部員らが、原告服部に対し、同原告が教員として採用されたあと、同支部の指導に従わず、かつ、同支部との話合いに応じないと称して暴力を用い、同支部に屈してその意のままになるか、あるいは教員を辞職するかを迫つたことに端を発している。

(3) もとより、教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接責任を負つて行われるべきものであり(教育基本法一〇条)、教員は、教育長の推せんにより教育委員会が任命するものである(地方教育行政の組織及び運営に関する法律三四条。)したがつて、教育が一私的団体にすぎない解同光明町支部の指導と助言によつて行われたり、同支部長に誓書を提出し、その推せんを受けなければ教員として採用されないようなことは、解同光明町支部の教育及び教育人事に対する介入であり、法の精神に反して許されるものではない。

しかるに、本来、教育に対する外部からの不当な介入を排し、学校を正常な状態で管理運営すべき責任を負つている吹田市教育委員会、同教育長及び吹田二中校長らは、昭和四五年以降解同大阪府連及び解同光明町支部に屈服し、前記のような吹田二中で発生した極めて異常かつ不法な状態に対し、何ら毅然たる措置をとらず、解同光明町支部員らの不法行為を容認したばかりでなく、驚くべきことには、吹田二中校長らは、原告服部に対し、「職務命令」という形で、解同光明町支部員らとの監禁、暴行、脅迫などのつるし上げを意味する「話合い」なるものを強要したり、さらに、吹田市教育委員会同和教育指導室長斎藤利裕(以下、斎藤同和教育指導室長という)に至つては、自ら先頭に立つて、被告阿部が職員室から授業に行うとするのを阻止するなどして、解同光明町支部員らの行為に加担までしたのである。

原告らは、昭和四五年以降、解同光明町支部の高田支部長を初めとする同支部員らの部落解放運動に名を借りた不当な教育への介入、干渉に屈せず、教育の自主性、教育権の独立を堅持して、同和教育の推進を図つてきたのである。このような原告らに対し、被告は、原告らが教員として正に取り組んでいる年間教育計画ひいては吹田二中における教育活動を無視し、同校生徒の被る不利益をも省みずに、年度半ばにおいて、解同光明町支部の意に副い、その圧力に屈して、原告らを吹田二中から排除せんがために本件転任処分を発令したものである。

したがつて、本件転任処分は、「教育の自由」、「教育権の独立」、「教員の身分の保障」を規定した憲法二三条、二六条、教育基本法六条二項、一〇条一、二項に違反した違法なものである。

(二)  本件転任処分は、憲法一九条、一四条一項に違反した違法がある。

被告が本件転任処分の理由とするところは、要するに、「原告らが同和地区の住民との話合いを十分行つていないことが同和教育推進校たる吹田二中の教員として適当でない」というにある。

しかしながら、被告がここに言う話合いなるものは、前述のとおり、解同光明町支部員らが監禁、暴行、脅迫等を用いて行う暴力的なつるし上げであり、しかも、これは同支部が部落解放の名のもとに教育を暴力的に私物化しようとして行われる手段であることからすれば、原告らが、この話合いなるものに応じないことは極めて当然、かつ、正当なことといわなければならない。

そして、前記一、1、(2)記載のとおり、原告らが、いずれも、「大阪同和教育研究サークル」「吹田部落問題研究会」の積極的な活動家であること並びに「教師集団の自主性」「教育権の独立」「教育の自由」という憲法、教育基本法の立場を実践し、解同光明町支部に屈服従属しないことを併せ考えると、本件転任処分が、同和問題、同和教育ひいては教育そのものについての考え方を唯一の理由としてなされた差別的取扱であることは極めて明白である。

したがつて、かかる理由による本件転任処分は、思想信条による差別扱いを禁じた憲法一四条一項に違反し、かつ、思想及び良心の自由を保障する憲法一九条に明白に違反する違法なものといわなければならない。

(三)  本件転任処分は、確立された労使慣行、人事方針に反する違法がある。

(1) 憲法や教育基本法の志向する教育は、「個人の尊厳を重じ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす」(教育基本法前文)というものである。かかる教育理念の下に、かつ前述の如く、「教育の自由」「教育権の独立」が保障される学校教育を担当する教員については、一般公務員、労働者以上に特別な身分保障、待遇の適正化が図られる必要がある。そこで、教育基本法六条二項は、「法律に定める学校教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は尊重され、その待遇の適正化が期せられなければならない」と教員の身分尊重を明文上規定し、また、ILOユネスコ勧告も四五項で、「教職における雇傭の安定と身分保障は教員の利益にとつて必要であるのみならず、教育の利益のためにも不可欠なものである。」として身分保障の必要を強調している。したがつて、教員異動にあつては、教員の意思を十分尊重し、労使慣行に反しないことはもとより、教員本人の教育活動及び学校教育活動全体についても支障をきたさないとう最大限の配慮がなされるべきである。

そして、吹田市においても、右趣旨に副い、従来から教員の異動に当つては、少くとも一週間以上前に本人に内示し、本人の意思を打診して十分これを尊重し実施する、との労使慣行、人事方針が確立されていたのである。

(2) しかるに、被告は、本件転任処分発令に際し、右労使慣行の存在を無視し、発令前日に初めて原告らに内示し、しかも原告らのこれに応じ難いとの明確な意思をも考慮せず、強行に本件転任処分を発令したのである。

このような本件転任処分は、前記労使慣行、人事方針に反した違法なものである。

(四)  本件転任処分は裁量権の範囲を逸脱した違法がある。

(1) 本件転任処分は、原告らが吹田二中で、既に樹立し、現に進めている年間教育計画の中途で他校への転出を強いるものである。これによつて、原告らが吹田二中の教員として現にすすめている年間教育計画の遂行は全く不可能となり、国民から信託された教員としての原告らの教育の権利が不当に侵害されるばかりでなく、年次途中における突然の教育内容の変更は、同校の生徒ないしその父兄の教育権をも不当に侵害するものである。

とりわけ原告らの教育権の侵害という点に関してみると、原告服部は転任先の吹田市立山田中学校においてはその担当教科の国語科は過員であることは明白であり、転任先で授業を担当することのできない司書としての職務が予定されているのである。

(2) また、本件転任処分に基づき、原告らが転任させられることになると、吹田二中においては、原告らの転任による補充として急拠採用される期限付講師などにより授業を行わざるをえない事態となる。これは、吹田二中の教育計画の遂行を困難ならしめ、多くの生徒にとつて重大な不利益をもたらすものであるし、原告らの転任先においても、前記服部の例を端的に示されているように、過員を生じるなど教育的配慮に欠けた極めて不合理な異動といわざるをえない。

(3) さらに、藪教育長は、被告大阪府教育委員会の玉田教育長から、再三にわたり、昭和四七年六月二六日以降の吹田二中の異常事態については、同校の教員に対する転任あるいは処分をすることによつて収捨を図つてはならないとの指導を受けていながら、これを無視し、同和教育ひいては教育そのものについての考え方を理由に原告らを吹田二中から排除しようと狙う高田支部長らの不当な圧力に屈し、極めて不合理な本件転任処分の発令を強行したものであり、その動機ないし経過は、非教育的な不当なものといわざるをえない。

(4) 本件転任処分の動機ないし経過が右のとおりであるが故に、自主的、民主的、自覚的立場に立つて教育に専念している原告らにとつて、本件転任処分を強いられる不利益は、到底筆舌に尽せないものではあるが、その内容を詳述すれば、次のとおりである。

(イ) 原告らは、前記のとおり、憲法と教育基本法を尊重し、自主的、民主的、自覚的な立場に立ち、解同光明町支部の不当な圧力に屈せず吹田二中において教育活動を行つてきたのであるが、不当な圧力により意思に反した転任を強行され、同校における教育の場を奪われることは、耐え難い精神的苦痛であり、原告らの自主的、民主的、自覚的立場に立つ教師としての生命を否定されるに等しいものである。

しかも、本件転任処分が、「同和教育推進校の教員として不適格」とまで新聞報道される状況の中で強行され、吹田二中における教育活動の機会と場を奪われた結果、原告らがこれまでになしてきた教育活動ひいては教師としての社会的評価を当局によつて否定されたことになる。これは、原告らが教師として受ける社会的信頼、社会的評価の低下をもたらすものであり、原告らが教師として将来にわたつて受ける不利益も計り知れないものがある。

(ロ) 原告らは、吹田二中において、現実に「教科担当」または「学級担任」として、年度初めから教師としての使命感に燃えつつ、教育理念と教育計画に従つて、生徒に教育を続けてきたが、本件転任処分が、年度途中というきわめて異例の時期になされたため、吹田二中におけるその教育の場を奪われた。このことは、原告らが教師として、一年間にわたつて生徒の成長に責任をもつて教育していく権利、すなわち、原告らの「教育権」を侵害するものである。

(ハ) 原告らは、吹田二中において月額金二、五〇〇円の同和教育推進手当の支給を受けていた(原告小川は、養護学級を担任して本俸の九%、月額約金七、〇〇〇円の養護学級担当給料調整手当も支給されていた)が、赴任先ではかかる手当は支給されない。

(ニ) 以上のほか、原告小川にあつては、吹田市教組吹田二中分会責任者としての活動の場を奪われている。

(5) このように、本件転任処分は、教員人事にあたつての裁量権の範囲を著しく逸脱した違法がある。

4 以上のとおり、本件転任処分は違法であつて、取消を免れないものであるところ、原告らには、前述のような著しい損害を避けるための緊急の必要があつたため、行政事件訴訟法八条二項二号に基づき、審査請求を経ることなく本訴提起に及んだものであるが、仮に、右要件が認められないとしても、原告らは、昭和四七年一一月二日、大阪府人事委員会に対し審査請求をなしたところ、同年一二月二七日に被告から答弁書が提出され、同四八年一月三〇日に原告らが反論書を提出したという段階までしか進んでいない。右のように、審査請求後三か月を経過するも、未だ、大阪府人事委員会の裁決がないので、本訴において本件転任処分の取消を求める。

二、請求の原因に対する被告の答弁並びに主張

1  答弁

(一) 請求の原因1の事実中、(一)、(1)及び(二)の事実は認めるが、その余の事実は争う。

(二) 同2の事実中、原告ら主張の本件転任処分が発令されたことは認めるが、その余の事実は争う。

(三) 同3、(一)の事実中、昭和四七年六月二六日解同光明町支部員が多数吹田二中に押しかけ、以後同校が混乱状態に陥つたことは認めるが、その余の事実は争う。

(四) 同3、(二)の事実は争う。

(五) 同3、(三)の事実中、吹田市において、同市公立学校教員の転任処分の発令に当り、一般的には、予め転任者の意思を打診していたことは認めるが、その余は争う。

(六) 同3、(四)の事実は争う。

昭和四八年四月以降の新学期において、原告松田は、その転任先である吹田市立第一中学校で国語科を担当して、一年生に対し週二〇時間の授業を、原告増成は、同じく吹田市立第六中学校で社会科を担当して二年生に対し週二三時間の授業を、原告小川は、同じく吹田市立青山台中学校で数学科を担当して、二、三年生に対し週一九時間の授業を、原告阿部は、同じく吹田市立高野台中学校で保健体育科を担当して三年生に対し週二一時間の授業を、さらに原告服部は、同じく吹田市立山田中学校で国語科を担当して一年生に対し週二〇時間の授業をそれぞれ担当実施しており、何れも正常な教育活動を行つているものである。

2  主張

本件転任処分は、次のとおり正当な理由に基づき発令された適法なものである。

(一) 本来、公立学校教職員として公の教職に従事する者は、当該府県内の他の市町村へ転任を命ぜられることは、その地位に伴つて当然予定せられるべきであるから、転任者の個人的事情があるとしても、これは公務員である限り、やむをえないものというべきであり、また、教育権の独立とは教育の自主性を阻害する不当な行政的権力的な支配を排除しなければならないことをいい、かかる不当干渉にわたらない限りにおいては、教員も教育行政の責任者が教育行政運営上必要な見地から行う権限の行使に対し、これを認容すべきものである。

そして、一般に、転任処分は、降任免職等の懲戒の行政処分とは異り、地方公務員法及び教育公務員特例法にも何等の規定がなく、公立学校教職員のその意に反する転任処分についてはそれ自体、法の保障するものではないのであつて、その任命権者の任命権に属する一作用と解すべく、したがつて、学校の管理運営という行政目的を達成するため、その権限に基づく自由裁量というべきである。この自由裁量は、社会通念上、合理的かつ妥当な範囲内に限定せられるべきことはいうまでもなく、その転任処分が右の範囲を逸脱し、不公正または恣意的なものでない限り、通常生起し得るやむをえない事態が生じたとしても、広くこれを是認かつ甘受せられるべきである。

(二)(1) 従来、吹田二中における同和教育は、吹田市教育委員会の基本方針及び具体的施策、すなわち同教育委員会は、同和対策審議会答申及び大阪府同和対策審議会答申を受けて、吹田市同和教育基本方針を公示し、その中で、「本方針の実施に当つては、学校教育と社会教育の有機的連携を計ると共に、部落解放の願いと実践に学び地域関係機関諸団体との連携を一層密にし、各種行政は、相互に協力してその実を挙げるよう総合的に推進すべき」旨を、また、同和教育推進についての具体的施策として、その学校教育の項一〇における連携と組織の確立の段において、「同和地区を有する学校では、解放同盟を中心に地区内の諸団体との連携を密にして、地区の同和教育推進協議会(仮称)に対する積極的助成活動を行う」との各方針を明示するとともに、その主たる話合いの相手方として、吹田二中校区内については解同光明町支部を指示していたので、これに従つて、担当教員が、その生徒の父兄または母親等と話合いを重ね、相互の意思疎通を前提として運営されてきたのである。

しかるに、原告らは、後記の如く大阪府及び吹田市の同和教育方針に反対意見を有し、その実施に協力しないのみならず、その同和教育に関し学校当局の制止を無視して反対言動を反覆し、これを阻止妨害したため、解同光明町支部の父兄、母親側との間に断絶を生じ、かつ強く反発されるに至つた。そこで、吹田市教育委員会及び吹田二中当局は、再三にわたつて、原告らに対し、解同光明町支部の父兄等と十分話合つた上、連携接触を持つよう勧告したが、原告らは、自己の主張に反するとしてこれを拒否した。これがため、昭和四七年六月二六日から翌二七日かけて、解同光明町支部の父兄等が、多数吹田二中に来校し、午後には、子供会もこれに介在して同校に混乱状態が発生した。そして、以後もこの混乱対立状態が続き、これを放置するときは、休校その他の重大な危険状態になるおそれがでてきたので、これを回避して平穏な学校運営を計るため、藪教育長は、吹田二中当局の意見を参考にし、被告の了承を得て、原告らを吹田市内の他の中学校に分散転任させるのが妥当であるとして本件転任処分を発令したのである。このような意味から、本件転任処分は、合理的かつ妥当な処分であることが明らかである。

(2) 原告ら五名のそれぞれの特別事情とされる本件転任処分の原因ともいうべき各自の言動は、次のとおりである。

イ 原告松田について、

(ア) 昭和四四、四五年度には、吹田二中の同和教育主担者(以下同和主担者ともいう)であつたが、昭和四六年三月一日の吹田二中の職員会議の席上で、先に被告から送付された中学生用副読本「にんげん」に関し、「これは基本的には我々が選んで自主的に使う教材ではない」旨を発言し、これを各生徒へ配布することに反対的意見を開陳した。

(イ) 昭和四六年六月二一日の吹田二中職員会議の席上で、同和教育のための校舎建設に関し、校舎建設は教育委員会が行うべく部落開放同盟との提携の下では教育内容に対する干渉に関すると称して反対意見を開陳し、その後発足した、二中をよくする会に対しても、我々とその出発点において相違するといつて、右解放同盟と提携し同和予算を以つて実施される校舎建設に全く非協力であつた。

(ウ) 昭和四七年一月二八日午後、吹田二中図書室において、吹田市教育委員会の主脳と会談した際にも、その同和教育方針に反対し、天下り的であるとしてこれを拒否し同調しなかつた。

(エ) 昭和四七年四月五日の吹田二中職員会議で、一応同和主担者として選定せられ、部落解放同盟とのパイプ役の任務を負担するに至つたにもかかわらず、同校校長麻田勝也(以下、麻田校長という)より今後は解同と提携してやつていけるか否かの返答を求められても、黙して返答せず、かえつて反対的態度を示した。

(オ) 昭和四七年六月二六日の吹田二中の職員会議の席上で、他の原告らも同席の上、当時、教育を守る会の母親多数が原告と話合いたいといつて来校しているのにかかわらず、個人問題であるとしてこれを拒否する言動を示した。

(カ) 昭和四七年七月五日に吹田二中の全教員と解同光明町支部側との話合いの場を持ち、両者の関係を正常化せんとする麻田校長の提案に対し、学校教育の不正常は、部落解放同盟に由来すると主張して拒否意見を開陳した。

ロ 原告増成について、

(ア) 原告松田と同調して、その(ア)ないし(オ)の言動をなした。

(イ) 昭和四七年二月一六日付吹田市教育委員会発行のプリント「部落解放はみんなの課題」に関し、同年三月一日の吹田二中職員会議の席上で、原告松田と共に、各生徒へのプリント配布に反対阻止した。

ハ 原告小川について、

(ア) 原告松田と同調して、その(ア)ないし(オ)の言動をなした。

(イ) 吹田二中職員有志の名義で、吹田二中の同和教育方針に反対する旨のプリントを作成したが、それに文書責任者と氏名を明記の上、自己名義を以つてこれを他へ配布した。

ニ 原告阿部について

(ア) 原告松田と同調して、その(ア)ないし(オ)の言動をなした。

(イ) 昭和四七年六月二六日午後四時ごろ、吹田二中校舎内に多数の母親が来校していた際に、原告服部が生徒らによつて連れ去られんとするや、これを阻止奪回しようとしてその集団に割つて入りもみ合いとなつたが、その場に居合せた母親の山口晴美及び池田一七子に対し、それぞれ傷害を与えた。

ホ 原告服部について、

原告服部は、前記のとおり、昭和四七年四月一日付をもつて、吹田二中教諭に任命されたのであるが、これより先、同年三月二〇日過ごろ、吹田市教育委員会側は、同原告を主として、第二学期より吹田二中同和教育の推進学級設置に関する専門教員または担当要員として採用することを明示し、同原告もこれを承諾してその採用任命に至つたものであるが、第一学期中は、推進学級の準備中であるため、とりあえず一年生の国語科を週八時間受持ち、その傍ら右の準備に参加させていたのである。しかるに、同原告は、吹田二中教諭に採用されるや、次のような言動に及んだ。

(ア) 昭和四七年四月ごろから、前記推進学級専任教員の予定者間の打合せ会に出席せず、その意図も示さなかつた。

(イ) 同年五月一八日の地区母親の会への欠席を表明した。

(ウ) 同年五月二〇日には、以前から補充学習へ参加の意思表示をしていたにもかかわらず、その国語授業時間に出席しなかつた。

(エ) 同年五月二五日(第一回)及び同年六月一〇日(第二回)の教育を守る会へは、いずれも欠席した。

(オ) 以上の間において、麻田校長並びに吹田市教育委員会は、再三にわたり原告服部に対し、地区父兄または母親らと話合うよう勧告または下命をしたが、同原告は協力せずと答えてこれに応ぜず、遂にはその所在も不明となつた。

(カ) その後も、原告服部は、吹田市教育委員会から、連日のように関係者との交渉、同教育委員会への出頭命令を受けながらこれに応じないし、また同教育委員会の同和教育基本方針に従つた同和教育を推進せず、かつ促進学級は担当しないと主張するに至つた。

(三) ところで、吹田市における公立学校の教員の転任については、その手続上、一般に予め転任者の希望を聴取したうえで、転任処分の発令を行つてきた。

しかし、教育行政一般の必要から、やむなく急拠転任処分を発令しなければならない場合もあり、このような場合には、従来の手続と相違して、転任者の意思の確認または予告を行わずに発令しうるものであると解すべきところ、本件転任処分については、前記のとおり、吹田二中が混乱状態にあり、これを収捨する緊急の必要があつたため、原告らの意思確認をしないまま発令されたのである。

したがつて、本件転任処分の発令に当つて、予め原告らの意思確認をしていないとしても、何ら違法はない。

三、被告の主張に対する原告らの答弁並びに反論

1  答弁

(一) 主張(一)は争う。

(二) 同(二)、(1)の事実中、被告主張のとおり、吹田市教育委員会の同和教育基本方針及び具体的施策が定められていることは認めるが、その余は争う。

同(二)、(2)の事実中、原告服部を除く原告らがにんげんの配布に反対意見を述べたこと、昭和四六年六月二一日の吹田二中の職員会議の席上、部落解放同盟と提携して校舎建設推進はできないと述べたこと、昭和四七年一月二八日午後、原告服部を除く原告らが、吹田市教育委員会の主脳と話合いをしたこと、原告松田が、同年七月五日、麻田校長の提案に反対したこと、原告増成、同松田が、昭和四六年三月一日の職員会議の席上、その主張のプリントの配布に反対したこと、原告服部が、その主張のような会合に出席せず、また地区母親との話合いに応じなかつたことは認めるが、その余は争う。

(三) 同(三)の事実中、吹田市の公立学校の教員の転任については、手続上、一般に予め転任者の希望を聴取し、その意向を打診したうえで、転任処分を発令してきたことは認めるが、その余は争う。

2  反論

(一)(1) 大阪府教育委員会は、昭和四二年五月三一日に、同和教育を推進する基本的態度を明らかにした「大阪府同和教育基本方針」を作定した。

ところで、この大阪府の基本方針は、大阪教職員組合、大阪同和教育研究協議会などの意見を聴取し、現場教職員の協力と理解のもとに作成されたものである。

(2) ところが、昭和四四年に大阪市内において大阪市教職員組合の支部役員選挙での木下浄教諭の立候補挨拶状をめぐつて、同教諭らと部落解放同盟大阪府連との間に差別文書であるか否かの争いが生じ、以後、大阪府全域にわたつて、右解放同盟大阪府連及びその支部による教育への不当な介入が行われるようになつた。

そして、このことは、吹田市においても同様であり、解同光明町支部が、教師に対し、本来教師が自主的に判断し、実践すべき地区学習会(同和地区における夜間の学習会)への参加を強制的に押しつけるなど教育への不当な介入が行われるようになつた。これと並行して、大阪府教育委員会をはじめ各市の教育委員会も、解放同盟の圧力に屈し、その教育への不当介入を容認し、さらには、これに迎合する姿勢をとるようになつた。

(3) 吹田市同和教育基本方針は、まさにこのような背景のもとで、昭和四五年五月二八日に同市教育委員会と解同光明町支部との話合いによつて作定されたものであつて、教職員組合の意見はもちろん現場の教師の意見は一切聴取されていない。

また、「同和教育推進についての具体的施策」も、右基本方針と同時に作成されたが、これも現場の教師の意見を聞かず、解同光明町支部との話合いにより決められたものであり、しかも、その内容については、大阪府の「具体的施策」とは重要な点で相違している。すなわち、大阪府の「具体的施策」では教育委員会自体が実践すべきことのみを定めてあつて、各学校で教師が行うべき具体的な教育内容については触れていないのに対し、吹田市の「具体的施策」においては、同和教育副読本「にんげん」の使用を決めたり、補充学習の推進を決めているなど、教師自身が行う具体的な教育内容にまで干渉しているのみならず、大阪府とは異り、特定の私的団体である解放同盟との連携をうたつているのである。

(4) 原告らが吹田二中においてとつた一連の行動は、全て解同光明町支部による教育への不当な介入とこれを容認する吹田市教育委員会の不当な姿勢に対し、憲法と教育基本法の精神にのつとり、自主的、民主的な同和教育を実践する立場から行つた反対ないしは抗議の行動であり、かかる行為をもつて、原告らが同和教育に不適格であるなどということは許されるものではない。

(二) 被告の主張する原告らの本件転任処分の具体的理由は、全く不当であつて、転任処分の理由たりえないものである。

(1) 原告松田について、

(イ) 昭和四六年三月一日の職員会議の席上、原告松田は、「副読本は、現場の教師が自主的に選択し採用するものであり、教育委員会によつて一方的に押しつけられるものではない」旨発言した。

ところで、前記のとおり、副読本は、教師が自主的に選択、採用するものであるが、右会議もまさに教育委員会より一方的に送付してきた「にんげん」を副読本として採用するか否かを決定する場であつた。したがつて、原告松田が、その場において右のような発言をすること自体何ら非難されるべきことでないことは自明のことである。

(ロ) 原告らは、校舎建設に反対していたわけではなく、むしろ、これに積極的に努力しており、現に、原告らが中心となつて教育的観点に基づく校舎建設についての建設的かつ具体的な意見、資料を教育委員会に提出している。ただ原告らは、この校舎建設の問題の前に、同和教育の一環として映画「橋のない川第一部」を吹田二中の生徒、父兄に鑑賞させるべく職員会議の議を経て、P・T・A実行委員会主催の試写会を行おうとしていたところへ、高田支部長らが、右映画の上映は偏向教育だと称して会場に乱入し、その上映を不能にさせるという教師活動に対する露骨な介入事件があつたため、解同光明町支部のこのような暴挙に対する責任追求をあいまいにして、校舎建設の推進運動についてのみ同支部と提携することは、同和教育の正しい発展のために好ましくない旨の意見を有していた。

もとより、このような意見は、自主的、民主的な同和教育を発展させる立場からは、当然の意見であり、何ら非難されるべきものではない。

(ハ) 原告松田らは、昭和四七年一月二八日午後、吹田市教育委員会の主脳と会談した際、同市の同和教育基本方針が現場の教師の意見を全く聞かないで一方的に作られた天下り的なものである事実を指摘し、現場の教師の意見も聞いて欲しい旨の希望を述べたまでであつて、基本方針の内容そのものにその場で反対したものではない。

したがつて、このような事実の指摘及び希望の表明は、教育現場の責任を負う教師としては、極めて当然のことであつて、何ら非難されるべきものではない。まして、基本方針そのものは、教師に法的拘束力をもつて押しつけ得るものでもないのである。

(ニ) 被告は、同和主担者としての原告松田の言動について述べているが、もともと大阪府教育委員会によつて定められた同和主担者の任務内容には、「解放同盟とのパイプ役」などというような任務は全くないのである。

そして、原告松田の職員会議での発言は「同和主担者は、個人的意向によつてあたるべきものではなく、あくまでも二中教師集団の討議や意思に基づいて行動すべきものである」という内容であり、極めて当然かつ正当な発言であつて、何ら非難されるべきものではない。

(ホ) 昭和四七年六月二六日の職員会議では、原告服部と解同光明町支部の母親らとの話合については、何ら議題にはなつていなかつた。むしろ、この日の職員会議には、解同光明町支部の支部員らが多数で乱入して原告らを初めとする多くの教員に対して暴力的なつるし上げを行つたのである。

(ヘ) 昭和四七年七月五日、吹田二中教員と解同光明町支部側との関係正常化のための麻田校長の提案に対し、原告松田らは、「暴行、脅迫、授業妨害が公然と行われるなかで、話合いというものはありえない。まず、校長が混乱をその責任において解決すべきことが先決である」旨主張したのであるが、これは、「話合い」なるものが、実際は解同光明町支部員らによる暴力的なつるし上げを意味し、また、当時、同支部員によつて吹田二中が無法状態にさせられていたことを管理者である同校長が放置していた状況からすれば、極めて正当な指摘といわなければならない。

(2) 原告増成について、

昭和四六年一〇月二六日発生した吹田二中生徒の差別発言事件に関し、吹田市教育委員会は、右事件について直接責任を負う吹田二中の教師自身が問題の本質とこの事件にどう対処するかということについて検討する前に、一方的に「この事件は、吹田二中の同和教育に欠陥があるために発生したものである」という見解を「部落解放はみんなの課題」というプリントにして各生徒を通じて父兄に配付しようとした。そして、右プリントには、この事件とは全く関係のない吹田高校差別事件についての記載もあつた。そこで、原告増成らは、職員会議の席上、まず、学校内でこの事件の本質を論議し、このような事件が起つた原因を明らかにし、かつ、その解決方法を検討すべきであるし、また、吹田高校の事件は、今回の事件には何ら関係はないとして、右プリントの配布に反対意見を述べた。

かかる意見を職員会議の席上述べることは、教育現場において、直接の責任を負うべき教師として極めて正当な意見であつて、何ら非難されるべきことではない。

(3) 原告小川について

被告主張の「反対プリント」がいかなるものであるか不明であるが、昭和四七年八月二五日付の「吹田二中の御父兄の皆様へ」と題する文書(甲第五号証)をいうものとすれば、この文書は、市教育委員会、校長らによる一方的な宣伝に対して事態の正しい認識を訴えたもので、内容は全て真実であり、この文書の配布をもつて配転を合理化する理由は全くない。

(4) 原告阿部について

昭和四七年六月二六日原告服部が、多数の者に強制的に連行されそうになつたとき、原告阿部が単身でこれを救出しようとした際、これを阻止し、かつ原告阿部個人に対する暴力的つるし上げの口実を作り上げるために解同光明町支部員らによつてデツチ上げられた虚構の事実である。

(5) 原告服部について、

被告は、原告服部を第二学期から行う促進学級の専門教員または担当要員として採用した旨主張する。

しかし、本来、促進学級なるものは、職員会議の決議によつてその設置が決定されるものであつて、吹田市教育委員会が独断で一方的に決定しうるものではなく、かつ、当時、吹田二中においては、職員会議でこれを設置するか否かについての結論は出ていなかつた。したがつて、促進学級の専門教員として採用するなどということはありえないし、たとえ、仮にそうであつたとしても、その採用条件は何ら拘束力をもつものではない。

右のように、促進学級専任教員なるものは存在しないのであるから、その予定者間の打合せ会なるものも存在しない。ただ、当時、一部の教師が、任意かつ独断で促進学級に関する会合をもつていたが、原告服部は、これへの参加を何ら強制されるものではない。

また、被告のいう補充学級は、解同光明町支部が主催する時間外の学習会のことであり、原告服部が、これへの参加を強制されるいわれはないし、右補充学級に国語授業時間を組入れたのも、同支部が独断でなしたことであり、原告服部とは関係がない。

ところで、原告服部が、「地区の母親の会」あるいは「教育を守る会」へ参加しなかつたというが、右会合への参加は、暴力的なつるし上げ及び退職の強要を意味したので、原告服部が、右会合に参加しなかつたことは何ら非難されるべきではない。

(三) 被告は、本件転任処分は、急迫の危険を回避するためにやむをえずに行つた処分であるというが、このような事実はなかつた。

すなわち、昭和四七年六月二六日から同年七月八日ごろまでの期間において同盟休校の動きなど全くなかつたし、同年七月一〇日から同月二〇日まで期末試験は実施されなかつたが、正規の授業が平穏に進められたのである。しかもこの間、普通なら短縮授業であるのに六時間授業が行われ、さらに、原告服部は同僚の教員に授業を妨害されたが、同年八月二六日から同月三〇日まで全校生徒に対する補充授業が平隠裡に行われたのである。

一方、吹田二中P・T・Aは、昭和四七年六月二六日以降の事態が発生した際、一部役員などには解同光明町支部の意向に迎合した態度をとつた者もいたが、他の一般の父兄の多くは、むしろ解同光明町支部のやり方に批判的であり、吹田市教育委員会等の責任ある主体的な対応を切望していたのである。そして、同P・T・Aも対応策として、同盟休校をとろうとする動きもなく、同年七月一八日、吹田市教育委員会一任を決めたあとは、何の働きかけも行つていないのである。

第三、証拠関係〈省略〉

理由

一、請求の原因1、(一)、(1)及び同(二)記載の各事実並びに被告が原告らに対し、本件転任処分をなしたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第四八号証、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第七号証ないし第一〇号証によれば、請求の原因1、(一)、(2)記載の事実が認められる。

二、被告の原告らに対する本件転任処分の理由並びにその経緯について判断する。

1、成立に争いのない甲第二六、第二七号証、同第四八号証(松田仁司の本人調書)、同第六六号証、乙第三号証の一、二、同第一六号証の一ないし三(麻田勝也の証人調書、ただし、後記措信しない部分を除く)、同第一七号証の一ないし三(久米秀弥の証人調書)並びに証人藪重彦の証言によれば、次の事実が認められる(ただし、一部争いのない事実を含む)。

(1)、吹田二中は、昭和四七年四月当時、生徒総数一、〇四四名、教員六〇名の中学校であるが、その校区には同和地区があり(同地区内の生徒数は約八〇名)、同地区内の岸部小学校とともに、いわゆる同和教育推進校と称され、同時に教育困難校とされているが、そのため、大阪府から同和教育を推進するために必要な同和教育主担者が配置されていること、同和主担者は、校内における同和教育の指導、計画、学級担任その他の教職員の行う同和教育についての助言、同和教育に関する資料の収集、整備、研究会等を初め、同和地区の父兄との連絡啓蒙、同和地区子供会への助言等を行うことを主たる任務とするものであること、

(2)、ところで、吹田市教育委員会は、昭和四〇年一〇月に示された同和対策審議会答申及び昭和四二年五月に出された大阪府同和対策審議会答申を受けて、昭和四五年五月、吹田市同和教育基本方針を定め、その中で、「本方針の実施にあたつては、学校教育と社会教育の有機的な連携をはかるとともに、部落解放の願いと実践に学び、地域関係機関、諸団体との連携をいつそう密にし、各種行政機関は相互に協力して、その実をあげるよう総合的に推進しなければならない」旨を明言し、同時にその具体的施策として、学校教育の項一〇における連携と組織の確立の段において、「同和地区を有する学校では、解放同盟を中心に地区諸団体との連携を密にして、地区の同和教育推進協議会(仮称)に対する積極的助成活動を行う」旨を定めたこと、そして、吹田地区には、同和地区の約九〇パーセント以上の人によつて結成された解同光明町支部が存在していたので、吹田市教育委員会は、同支部と連携して同和教育を進めていつたこと、したがつて、同委員会の指導監督下にある吹田二中においても、当然のことながら解同光明町支部と密接な連携を保ちながら同和教育を推進して行くべき関係にあつたこと、

以上の事実が認められ、乙第一六号証の一の記載部分中、右認定に反する部分は、たやすく信用できないし、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

2、前掲甲第七号証ないし第一〇号証(ただし、後記措信しない部分を除く)、同第四八号証(前同)、原告阿部本人尋問の結果成立の認められる甲第二号証、同第五五号証、原告小川本人尋問の結果成立の認められる甲第三号証ないし第五号証、同第二四号証、原告松田本人尋問の結果成立の認められる甲第三三号証、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第六号証(ただし、後記措信しない部分を除く)、同第一一号証、撮影の日時場所については当事者間に争いがなく、その余の部分の成立については弁論の全趣旨により成立の認められる検甲第一号証ないし第三五号証、前掲乙第一六号証の一ないし三、同第一七号証の一ないし三、成立に争ない乙第三号証の四、同第七、第八号証、同第一五号証、証人藪重彦の証言により成立の認められる乙第四、第五号証、証人寺浦正一の証言により成立の認められる乙第三号証の六、同第一三、第一四号証、同第一八号証ないし第二一号証、証人田村滋美、同寺浦正一、同藪重彦の各証言並びに原告ら各本人尋問の結果(ただし、後記措信しない部分を除く)を総合すると、次の事実が認められる(ただし、一部争いのない事実を含む)。

(1)、原告服部を除く原告ら四名(以下、単に原告ら四名という)は、従前から同和教育と部落解放運動に関心を持ち、率先かつ熱心にこれらに従事していたものであり、吹田二中においても、原告ら四名が中心となつて(ことに原告松田は、昭和四四、四五年度の吹田二中の同和主担者であつた)、他の教員に働きかけることはもちろんのこと、自らも、同校区内の同和地区の生徒とともに同和教育を実践し、部落解放運動に取り組んできたこと、そして、原告ら四名の計画指導により、吹田二中の教員らは、昭和四五年一月から同四六年三月までの間(後記のとおり解同光明町支部との間の対立が激化するまでの間)地区学習会(夜、教員が同和地区に赴き、解放会館等で補充授業を行うもの)を実施していたこと、

(2)、ところで、昭和四四年三月に行われた大阪市教職員組合東南支部の役員選挙に際し立候補した木下浄教諭(当時阪南中学校教諭)の立候補挨拶状の記載内容をめぐる解釈、取扱い(差別文書であるか否か)を端緒として、吹田二中における原告ら四名とこれに同調する教師集団と解同光明町支部との間に同和教育に関する対立が表面化し、次いで、昭和四五年一一月ごろ、原告ら四名が中心となつて、吹田二中の生徒及び父兄らに同和教育の一環として映画「橋のない川第一部」を鑑賞させようと計画し、吹田二中の職員会議の議を経てこれを実行に移し、PTA実行委員会主催により右映画の試写会を開こうとしたところ、右映画は、同和教育の教材としてふさわしくないとの立場から、高田支部長を中心とした解同光明町支部員らが吹田二中に押しかけ、右試写会を実力で中止するに至つたので、同和教育の在り方ないしは同和教育の推進の主体に関する対立が一層激しくなつてきたこと、

(3)、昭和四六年三月一日、先に被告から同和教育の中学生用副読本として送付されてきた「にんげん」の採用についての職員会議が開かれた際、原告ら四名は、他の一部の教師とともに、本来、教育内容は現場の教師が自主的に決定するものであり、したがつて、副読本もそれを使用する教師が自主的に採否を決すべきもので、教育委員会から一方的に押しつけられるいわれはない旨反対意見を述べたが入れられず、結局、副読本「にんげん」は、吹田二中の全校生徒に配布されたこと、また、当時、吹田二中の校舎が老朽化しており、同和教育の推進のためには、その環境整備として校舎の建設が必要とされていたので、原告ら四名は、昭和四四年末以降これに取組んできたのであるが、一方、同四六年六月、吹田二中、同PTA並びに解同光明町支部により校舎建設等二中の環境整備の促進を目的とする「二中をよくする会」が作られ、同校の校舎建設等についての要望は全て同会を通じてのみなされることとされたところ、原告ら四名は、解同光明町支部が、前記のとおり、映画「橋のない川第一部」の上映を実力で阻止した行為は、教師の教育活動に対する干渉であり、この不当な介入をあいまいにしたままで校舎建設についてのみ同支部ないしは同支部員らが中心となつて結成された右のような団体と提携してその運動を推進することはできないとの立場から、昭和四六年六月二一日開催された吹田二中の職員会議の席上、吹田二中が、解同光明町支部と提携して校舎建設運動を推進することに反対の意を表明し、独自の立場で同年七月三一日に吹田市教育委員会に要求書(甲第三三号証)を提出するなどしていたこと、

昭和四四年頃から、同和教育の一環として同和地区の生徒を対象とする課外の補充学習を行うよう解同光明町支部から強い要求があり、原告ら四名を含む吹田二中教師の計画指導により前記のように昭和四五年一月から同四六年三月まで地区学習会が実施されたが、右のような学習会は光明町子供会が自主的に行うような形にしたいとの解同光明町支部からの申出があり、同四六年四月からはこれを中止し、その具体的実施方法について吹田二中の教師と右支部ないし前記子供会とで協議を重ねたが、原告ら四名を中心とする教師らは右のような学習会はあくまで学校ないし教育委員会が主体性を持ちその計画指導の下に行われるべきであるとの立場を堅持したのに対し、解同光明町支部側は同支部の主導の下に行われるべきであるとして対立し、同年九月二六日における打合せの会合で、同支部の吉田教育対策部長が右に関連して解放教育は解放運動に従属すべきであるとの趣旨の発言をしたこともあり、結局、原告ら四名を中心とする教師らと解同光明町支部とは右学習会に関しても鋭く対立することとなり、同年一一月以降、同支部の主導の下に行われた補充学習会には原告ら四名は参加せず、他の一部教師が参加して実施される状況にあつたこと、

一方、同年一〇月二六日ごろ、吹田二中の一年の社会科の授業中、一生徒が、〇〇町出身の他の生徒に向つて、「昔、〇〇町は部落やで、〇〇町は、がらが悪い」とさげすみの口調で発言したことが問題となり、解同光明町支部は、右発言が部落に対する差別的発言であり、これは吹田二中の同和教育の姿勢自体に問題があるとして、同年一一月ごろ、解放同盟主催の「二中差別決起集会」が開かれ、原告ら四名とこれに同調する教師集団(以下、原告ら教師集団ともいう)と解同光明町支部との間の溝が一層深まつたのみならず、吹田二中の教師集団内部でも原告ら教師集団と解同光明町支部に同調する集団との間にも、同和教育ないしはその促進をめぐつて対立が顕著になつてきたこと、そのため、昭和四七年一月二八日ごろ、藪教育長、久米秀弥吹田市教育委員会同和教育指導室長を初め指導主事らが吹田二中に赴き、吹田二中教職員と学校教育施設、生活指導、同和教育等について話合を持つたが、その際、藪教育長ら教育委員会側は、同和教育の推進に当つては、まず教師集団内部の対立を解消したうえ、同委員会の定めた同和教育基本方針及び同具体的施策にのつとり、解同光明町支部と話合い、互に連携して同和教育を進めるよう説得したが、原告ら四名は、吹田市教育委員会の定めた同和教育基本方針ないし具体的施策が、その立案に当り、現場の教師の意見を聞かずに作成されたものであつて、それ自体に問題があり、したがつて、これに従うとか従わないとかの内容の問題ではない旨発言し、結局、同和教育について結論をみないまま、右話合いは終了したこと、その後、吹田市教育委員会は、同年二月一四日、吹田二中校長、同校同和主担者を通じて、吹田二中の教職員に対し、同委員会の基本方針に副い、解同光明町支部との話合いを強く要請し、自らも、同月中に数回にわたつて吹田二中教職員に話合いを申入れ、時には、その係員が吹田二中に赴き、話合いの場を持とうとしたが、その実現に至らず、その意思の疎通をはかりかねていたこと、この間、同委員会は、同年二月一六日付をもつて、前記吹田二中差別事件に関するプリント「部落解放はみんなの課題」を生徒を通じて配布しようとしたところ、原告増成及び同松田は、同年三月一日の吹田二中の職員会議の席上、右二中差別事件については、まず吹田二中内部で問題の本質を議論してその原因を究明し、その解決方法を検討すべきであるとし、また右プリントには、右事件と全く関係のない事件の記載があつて適当でないとして、その配布に反対意見を述べたこと(しかし、実際には、吹田二中の全校生徒に配布された)、他方、解同光明町支部は、吹田二中に対し、同支部と吹田二中との連携がうまくいかず、ために同和教育の推進に支障がでているとして、高田支部長名をもつて、昭和四七年度の吹田二中同和主担者の選任につき配慮するよう要望書(甲第一一号証)を提出したこと、

(4)、原告服部は、昭和四六年四月から同四七年三月まで吹田市教育委員会社会教育科非常勤嘱託に採用され、同市光明町学童保育指導員に補されたところ、その指導員としての指導勤務振りから、同和地区の母親らの信頼を得るようになつていたこと、

ところで、同原告は、同四六年大阪府教員採用試験に合格し、吹田市立の中学校教員として採用を希望していたが、翌四七年二月になつても採用通知がなかつたこと、同年三月に入つて、かねてから知合いの高田支部長から、吹田市で同和特別加配教員の枠がとれたので、その枠内で吹田市の教員に採用される可能性がある、そのためには解同光明町支部支部長に誓約書を提出し、その推せんを受けなければならないことを聞かされたこと、そこで、同年三月二一日、同原告は、「私は解同光明町支部の指導と助言の下に解放教育に取組む教師集団と提携して、私自身の課題として積極的に解放教育に取組むことを誓約する」旨の誓約書を提出したこと、当時、吹田二中は、校舎建築中であり、同年八月にはその完成をみることになつており、右校舎新築に伴い、促進学級の設備も整うことになるので、右教育環境の整備完成と同時に促進学級の開催にこぎ着けるよう事前に教員の加配を求めていたこと、そのため、被告大阪府教育委員会としてもこれを考慮し、昭和四七年度から従前の定員に加え、さらに五名の教員の同和特別加配をすることに決定していたこと、したがつて、右加配のために採用する教員は、将来、促進学級を担当する意欲と熱意を有する者が必要であつたこと、原告服部は、右のように高田支部長の推せんを受け、同和特別加配の枠内で吹田市公立学校職員として採用される前に、吹田市教育委員会の面接を受けたが、その際、同委員会側から、右採用の趣旨を告げられ、促進学級担当の意思の有無を確認されたのに対し、十分その意思のあることを認めたこと、その結果、同原告は、吹田市公立学級教員として採用され、同和特別加配の他の四名とともに吹田二中に転補され国語科を担当することになつたこと、このように、同原告は、促進学級担当として採用されたため、その施設環境が整うまで(校舎建設完了まで)授業時間は他の教員の半分とされ、その余の時間は右促進学級のための準備研究その他同和教育にあてるように指示され、当初は、それに従つて行動し、昭和四七年四月二七日には教育を守る会(解同光明町支部員のうち、小学校、中学校、高等学校に生徒を通わせている母親らによつて結成された会)にも出席し、補充学習会(直接同和地区に赴き、夜間、解放会館等で同和地区の生徒に授業し学力の向上を計る学習会)に参加の意思表示をなし、次いで、同年五月九日には補充学習会の打合せ会にも出席したこと、しかるに、同原告は、同月一八日以降の自己担当の補充学習会(三回)に全て欠席したこと、のみならず、同原告は、他の促進学級担当予定の教員らとの会合にも欠席することが多くなり、同年六月一〇日には、解放会館で開かれた教育を守る会に出席を約しながら出席しなかつたこと、そのため、同会の母親らは激昂し、過去一年間、原告服部が学童保育指導員として同和教育に尽力してきた実績に鑑み、なんとしてでも話合つてその真意を正したいと主張し、同日夜、藪教育長にその解決を迫つたこと、その結果、同教育長は、まず自ら原告服部と会つてその真意を確め、過去一年間学童保育に取組んだ姿勢で同和教育を推進するように話し、教育を守る会の会員とも話合いをするように説得することを約したこと、そして、藪教育長は、同日以降同月二三日までの間に、同原告に対し、吹田二中校長を通じて再三にわたつて出頭を求めたが、結局同原告がこれに応ぜず、教育を守る会の会員との約束も果せなかつたこと、そこで、同会の会員らは、同原告が教員になる方法として同和教育を利用したとしてその態度を激しく非難し、同月二四日、同会の総会において、同月二六日に吹田二中に行つて原告服部と話合い、これに抗議することを決意したこと、この間、原告服部は、昭和四七年四月四日開催の吹田二中の職員会議で促進学級設置の問題が議論され、麻田校長の予定した原告ら五名の促進学級担当が否定されたことや、その後に開かれた職員会議において、すでに、同年三月の職員会議で昭和四七年度の吹田二中同和主担者として選任されていた原告松田の資格について異議が出、再度採決をした結果、同原告が再選されたのに、麻田校長は、原告松田が同和主担者として解同と提携していけるかとの同校長の質問に返答しなかつたこと等を理由として、後日村田教諭を同和主担者に任命したことなどから、吹田二中の促進学級を前提とした同和教育への取組みに疑問を抱き、徐々に前記のような消極的な態度に終始するようになつたこと、

(5)、昭和四七年六月二六日午前九時ごろ解同光明町支部員、教育を守る会の会員ら百数十名が吹田二中に押しかけ、原告服部と話合いたいと称して、これまでの同原告の態度、すなわち前記誓約書を書き、同和教育を足場にして教員になり、それ以後は全く同和教育に協力しない態度を激しく非難し、職員室で同原告を取囲み、同日の第三、第四時限の授業に行けないようにしたこと、さらに同日午後四時ごろ、当時職員室で開かれていた吹田二中職員会議場に解同光明町支部員らが入り込み、一部生徒(光明町子供会)とともに同原告を囲み、その腕をとつて二年一〇組の教室に連行し、そこで深夜まで同原告の行動態度を非難し、さらに翌日午前五時ごろまで職員室で追求を重ねていたこと、一方、原告阿部は、原告服部が二年一〇組の教室に連れて行かれるのを見て心配し、多数の解同光明町支部員の中をかき分けて、原告服部を助けようとしたものの、その目的を達しえなかつたが、その際、解同光明町支部の女性支部員から、原告阿部から暴行を受けたとの声が上り、同原告との間に言葉のやりとりがあつたこと、このため、同日午後五時三〇分ごろ、原告阿部は、職員室で、高田支部長から女性支部員に暴行をしたとして、腰を突かれたり、手や指を引つぱられる等の暴力行使とともに激しい追求を受けたこと、

その後、同年七月七日ごろまでの間、解同光明町支部員ら多数が、連日吹田二中に押しかけ、校舎内外に多数のビラを貼り、看板を立てる等して、原告服部に抗議するとともに、解放同盟旗も学校内に掲揚していたこと、この間、原告阿部は、高田支部長らによつて、六月二九日第二時限の授業が妨害され、第三時限も解同光明町支部との話合いに校長室に呼出されて授業ができず、さらに、六月三〇日、第五時限目の授業に行こうとしたところ、斎藤同和教育指導室長や多数の解同光明町支部員らに話合いをせよといつて阻止され、その際、同支部員らから、生徒の面前で顔面を殴打されたこと、このような解同光明町支部員らの行為により、吹田二中の授業は、六月二六日の午後、六月二七日の午前、午後、六月二八日の午後、六月二九日の午後、七月五日の午後の各授業が混乱あるいは全学集会ないしは学級討議等のため全面的に中止させられたのを初め、光明町子供会所属の生徒が中心になつて個々の授業のボイコツトが行われたり、また現実に原告らが授業をすると、解同光明町支部員や一部生徒(光明町子供会の会員)らは、「こんな時に授業をするのは部落差別を軽くみているからだ」といつて大声で叫んだりして授業を妨害したため、ほとんど授業が行われず、無秩序な状態が継続していたこと、このような状況の中で、麻田校長は、たびたび職員会議を招集し、混乱状態の収拾を計ろうと考え、その解決の前提として、解同光明町支部との話合いを提案したが、原告らが中心となつて校長や教育委員会の責任において解同光明町支部員らを校外に排除すべきであり、このような混乱状態の中で話合いをすることはできないとして、これに反対する言動に及んだため、容易に事態の収拾の目途が立たなかつたこと、しかし、同年七月六日、吹田二中の職員約三〇名(原告らは欠席)と解同光明町支部との話合いが持たれ、これに参加した教職員が、これまでの吹田二中における同和教育について自己批判をし、以後解同光明町支部と積極的な話合いを進める中で同和教育を推進していくことを宣言した「真の解放教育推進宣言」を採択署名したのを契機に、ようやく事態収拾の方向に進み、翌七月七日以降、解同光明町支部員も吹田二中に来なくなり、一応平常に戻り授業も行われるようになつたこと、そして、同月二〇日から夏休みに入つたが、同年八月二六日から同月三〇日まで補習授業が行われ、これも平穏裡に終了したこと。

(6)  一方、吹田二中PTAは、同年六月二六日以降の吹田二中の混乱を憂慮し、直ちに、役員会、総会等を開いて事態収拾の方策を検討し、原告服部らによる解同光明町支部との話合いを呼びかけ、また、解同光明町支部と話合いの場を持つなどして解決を策したが、一向に解決の目途も立たなかつたこと、他方、吹田市教育委員会に対し、同年七月三日、吹田二中の混乱の早期解決に努力するよう申入れをなしていたが、これも実現しなかつたため、重ねて、同月六日付文書(乙第一四号証)をもつて、早期解決の方法をとることを要求し、もし、この要求の入れられない場合には、PTA役員の総辞職、同盟休校を含む強硬な措置をとることを併せて申入れたこと、しかし、その後も新しい事態の進展もみられず、事件解決の抜本的な方策が立たなかつたこと、同月一八日、吹田二中PTA運営委員会が、再度、吹田市教育委員会に事態収拾についての回答を迫つたところ、同委員会は、四〇日間の夏休み中に必ず解決することを約したので、PTA側もこれを了承し、事件の解決を吹田市教育委員会に一任し、事態を一応静観することになつたこと、

(7)、藪教育長は、前認定のとおり、昭和四七年三月以前においても、吹田二中の教師集団内部の対立はもとより、原告ら教師集団と解同光明町支部との間に同和教育ないしはその方法をめぐつて対立があり、その対立解消の必要を感じていたが、それを年度末の定期異動による転任等によつて処理することは好ましくないと考え、その処分を発令しなかつたこと、しかるに、同年六月二六日以降、原告服部の問題を端緒として解同光明町支部と原告らとの対立が表面化し、同支部員のため吹田二中が混乱に陥入つたので、吹田市教育委員会は斎藤同和教育指導室長らを吹田二中に派遣し、原告服部らに、直接あるいは麻田校長を介して解同光明町支部との話合いを呼びかけ、他方で、解同光明町支部、吹田二中PTAとの話合いを通じてその解決を計ろうとしたが、容易に事態収拾がみられず、前記のとおり、同年七月七日ようやくにして吹田二中も平常に復したものの、問題の抜本的解決に至つたものではなかつたので、将来、右のような混乱状態の発生が懸念されていたのみならず、前記PTAの言動から、将来、場合によつては同盟休校の方向へ発展しかねない状況にもあり、加えて、市議会側からの抜本的な問題解決の要求を出され、その解決に苦慮していたこと、藪教育長は、被告と吹田二中の事態収拾方策を協議した結果、人事移動で右事件の収束を計ることは好ましいものとはいえないが、事件関係者に著しい不利益を与えるような取扱いをしないこと及び吹田市を越えた異動をしない限り、人事異動の方法をとることもやむをえないとの結論に達したので、藪教育長も麻田校長の意見を聴取したうえ、具体的人選に入るように考えたこと、この間、原告小川は、吹田二中教職員有志代表として、同年七月下旬及び八月下旬ごろの二回にわたりビラを配布し、さらに、同年八月二五日ごろ、「吹田二中の御父兄の皆様へ」と題するプリントを吹田二中の全生徒の父兄に郵送したが、その内容が、いずれも解同光明町支部と話合いのうえ、同和教育を推進していくとの内容ではなく、これと対決するような内容であつたこと、

このような状況の中で、藪教育長は、同年八月二五日付で提出された麻田校長の上申書をもとに、原告らの従前の通勤条件とあまり変らない前記各中学校への転任を決め、同月三一日、麻田校長を通じて原告らに本件転任処分を内示し、翌九月一日これを発令したこと、

(8)、本件転任処分発令後、吹田二中の父兄の一部から本件転任処分に反対する声もあつたが、吹田二中PTAは、右転任処分を一応やむをえない処分として支持したうえ、学校運営の正常化に努力する方針をきめたこと、そして、同年九月以降、吹田二中は、平常な授業が進められるようになつたこと、一方、原告らは、本件転任処分発令後、同月一〇日ごろから転任先に赴任し、後記のとおり、それぞれ専門とする教科を教授していること、

(9)、なお、高田支部長、解同光明町支部員藤原及び同宮田らは、本件吹田二中での混乱の際、原告阿部に対し暴行を加えたとして、昭和四八年一〇月二九日暴力行為等処罰に関する法律違反に問われ起訴されていること、

以上の事実が認められ、甲第一号証、同第三号証、同第五号証ないし第一〇号証、同第一三号証ないし第二二号証、同第三四、第三五号証、同第四一号証、同第四三号証、乙第一、第二号証、同第六号証の各記載中並びに原告ら各本人尋問の結果中、右認定に反する部分はたやすく信用できないし、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

右事実を総合すれば、被告は、原告ら四名が、吹田二中の一部生徒(光明町子供会)及びその父兄を含む解同光明町支部員らと原告服部との紛争を直接的な契機として発生した混乱に際し、原告服部の言動を支持し、もつて右混乱の増長に直接間接に影響を与えたことから、右紛争が、一面では原告ら五名を中心とした教師集団と解同光明町支部との間の同和教育をめぐる従来の根本的な対立(吹田市教育委員会の同和教育の具体的施策のうち、同和教育に関する解同光明町支部との提携原則を支持するか否かの対立)へと発展しつつあるような形態を示してき、一旦右混乱は収拾されたものの、解同光明町支部との話合いを拒否する見解をもつ教師集団の中心である原告らが、以後も吹田二中に勤務するときは、再度、これまでのような混乱の発生する危険が十分あると判断して、そのような危険の発生を予防するため、やむなく原告らを吹田市の他の中学校に転任させることとして本件転任処分を発令したことが明らかである。

三、原告らは、本件転任処分が違法である旨主張するので、以下、右主張につき順次判断する。

1、憲法二三条、二六条、教育基本法六条二項、一〇条一、二項違反について、

およそ児童、生徒が真理を学び、平和と民主主義の理念を理解し、個性豊かな人間に成長するために学ぶ権利は、児童、生徒の生来的な権利であるとともに、児童、生徒が、民主主義国家の根本をなす自覚的国民に成長するに不可欠な権利であるから、憲法二六条は、この教育を受ける権利を基本的人権として保障し、同時に児童、生徒の教育を受ける権利に対応して国民に教育を施す権利と義務のあることを定め、この国民の責務を助成するために国は公教育制度その他の教育条件を整備する義務があることをも宣言しているのである。そして、右のような児童、生徒の真理を知ろうとする生来的権利を充足し、これに答えるには、当然のことながら児童、生徒に教育を授ける者、すなわち教員が真理追求のため自由に学問研究し、自ら真理とするところを自由に教授教育することが保障されなければならないのであつて、このような観点から、初等中等教育機関における教育の自由も、憲法二三条に保障されているものと解することができる(もちろん、このような教育の自由は、児童、生徒にどのような教育を与えてもよいというのではなく、学校における教育の本質上、いわゆる一党一派に偏することなく中立性が守られなければならないことはいうまでもない)。このような趣旨を受けて、教育基本法六条二項は、「法律の定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は尊重され、その待遇の適正が期せられなければならない」と規定し、教育を受ける権利が全て国民の基本的人権である以上、これを具体化するための学校教育は、当然国民全体のものであつて、それ故に、それを実現する学校教育が公の性質を持つものであることを確認し、これを担当する教員の地位も、特定一部の人のためでなく、全体の奉仕者であることを確認し、その使命、職責を明らかにするとともに、このような重要な使命職責を十分果すに必要な教員の身分の尊重と待遇の適正化を保障しているのである。また、同法一〇条一、二項は、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し、直接に責任を負つて行われるべきである。教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行わなければならない」と定め、教育行政の根本方針を規定し、教育が不当な支配から自由であることを宣言しているのである。したがつて、これら法の精神からすれば、教育基本法一〇条一項は、教育を受ける権利、教育の自由を侵害し、公教育の中立性を侵すような行為を禁止し、もつて、教育の政治的中立性を確保することを定めたものと解されるから、教育の政治的中立性を害する危険がある限り、その主体が何であるか、あるいは法律上の権限にかかわり合いなく排除されなければならないのである。この立場からすれば、教育に対する不当な支配の主体は、単に行政機関のみならず、広く政治的、社会的勢力一般であつて、政党、労働組合、宗派、一部父兄などが含まれることはいうまでもないであろう。

これを本件についてみるに、前認定の事実によれば、原告らに対する本件転任処分の理由は、直接的には解同光明町支部員ら(一部吹田二中の生徒及び父兄を含む)の原告服部に対する集団的抗議行動によつて吹田二中が混乱に陥ち入り、授業もできない事態が発生し、原告ら四名の言動が一層混乱を増大深刻化させ、この事態の収拾と再度の混乱の発生を防止するため、原告らを吹田二中から他の中学校に転任させたものであるが、その遠因は、原告らと右支部との間の同和教育をめぐる対立に由来し、解同光明町支部は、右集団的抗議行動によつて、自らの主張に反する立場に立つ原告らとこれに同調する教員らに対する圧力と教育行政当局に対する働きかけを行つた一面の存することも明らかであるから、吹田二中を混乱に落し入れた解同光明町支部員らの行為は、自らの主張を他に強要するために教育の自由を侵害し、公教育の中立性を破壊する教育への不当な支配であり、教育行政当局は、このような不当な支配を排除するのが当然であるのに、これに反し原告らを吹田二中から排除(転任)したことは、右不当な支配に屈したものであるとの疑問なしとしないであろう。

しかしながら、解同光明町支部のとつた右抗議行動の評価に当つては、同和地区のおかれた歴史的社会的背景からこれを考察する必要がある。

すなわち、同和地区に対する身分的差別(部落差別)による人権侵害は、過去長い歴史を有するものであつて、同和地区の経済的貧困も、部落民であるが故に就職の途を絶れ、職業選択の自由さえもが奪れたこと等に由来し、やむなく肉体的重労働に追やられるが、それのみでは生活ができないために、子弟も少年労働に従事させられる結果となり、同和地区の人々は、健康で文化的な最低限度の生活とはおよそ縁のない生活を強られてきたのである。そして、このようなことが長い間繰返されてきた結果、親自身が十分な教育を受けられなかつたのみならず、子弟も学校での教育よりも右のような労働に従事させられるし、また就学しえても貧困故に教育に必要な学用品すら入手できないようなこともあることから、学校を嫌い、学習意欲を失つて長欠児となり、教師の指導にも従わず、非行へも走ることにもなり、このような諸問題が慢性的に発生し、あるいは、義務教育後の高校進学率も、地区社会全体のそれに比して半数にも満たない状況にあること、このような部落差別に由来する諸現象は、個人の尊厳と自由平等を基調とし、基本的人権の保障を宣言している現行憲法下においても厳然として存在していること、昭和四〇年以降、国あるいは地方自治体の同和対策審議会答申に由来する教育、経済面での諸施策を通じ、部落解放のための行政的努力がなされ、それにより徐々にではあるが、部落解放運動が、全国民的課題として取り上げられつつあるが、なお部落差別意識は、広く国民感情の中に根強く残つており、就職、結婚、教育などの面をとおして、社会的意識として存在していること、したがつて、これらの差別意識を解消し、真に基本的人権の保障を確立するに当つては、教育面においても同和教育を国民的課題として取り上げ、部落差別を観念的なものとして理解せず、その実践に当つては、同和地区の人との徹底した話合いを通じ、これを基礎として同和教育が進められなければならないことは、社会的に顕著な事実であるといえよう。

右のように、部落差別がなお根強く存在しているにかかわらず、現実の差別に対する法的救済の道は必ずしも広くない現実からすればその差別の解消に当り、これを国民的課題として取り上げ、その具体的方策の確実な実施をみるには、何よりもまず行政機関に強く働きかけ、これと提携していくことが効果的な方法であることは容易に理解しうるところであつて、このために、被差別者である同和地区の人々が、これらの施策を要求するに当り、行政当局に対しある程度の集団的行動を伴つた強力な手段方法をとることも、前記の歴史的経過、現状からして一概に非難することは当らないと解するのが相当である。

このような観点から解同光明町支部のとつた集団的抗議行動をみると、前認定の事実経過からすれば、吹田市教育委員会が同和教育を促進するについて解同光明町支部と連携して行うとした方針に対し、原告らの言動が必ずしもこれに同調するものでなかつたため、これに反発して、解同光明町支部員らが、原告服部の外、原告ら四名に対しても抗議を行うこととなつたものであり、このように、解同光明町支部が、同和教育を同支部と連携して行うように求める要求自体不当ということもできないし、その行為のなされた経過からみて、その手段においてやや行き過ぎがあつて妥当性を欠くきらいはあるにしても、一概に、教育ないしは教育行政への不当な支配として違法な行為と断ずることに躊躇せざるをえない。

ところで、被告ないし吹田市教育委員会としては、教育行政につき責任ある立場にある者として、本件のような中学校内における混乱の発生を事前に防止するよう万全を期すべきことは言うまでもないところであり、本件のような混乱が生じたことについて被告ないし吹田市教育委員会に教育行政上の責任がないとはいえない。前認定のように、本件の六月二六日以降の混乱状態の発生の遠因として、解同光明町支部と連携して同和教育を推進するという吹田市教育委員会の方針に必ずしも同調しない原告らを中心とする吹田二中の教師集団と、これに対し右委員会の方針に同調する同校の教師集団及び解同光明町支部ないし支部員などとの対立が存し、吹田市教育委員会としても、この対立の解消につき一応の努力を尽したのであるが、その対立の解消を見ないままに前記混乱状態の発生を見るに至つたのである。原告らは、同和教育の重要性を認めつつも、吹田市教育委員会の右方針自体を非難するものであるが、原告らが吹田市教育委員会の右方針を批判することは自由であり、その批判自体を不当とすることはできないけれども、本件のように中学校という教育の場において、その教師集団が分裂して互に対立する状態にあることは極めて不幸な事態であつて、このような状態を放置するときは同校における教育の実践は混乱し、その被害は最も尊重されるべき生徒の教育を受ける権利の侵害に至ることは明らかであるのみならず、原告らが解同光明町支部と対立している限りにおいては、吹田二中における同和教育の実践も容易に進展を見ないであろうことも予想しうるところである。前記吹田市教育委員会の努力なるものも、前認定事実からして、結局、原告らを同委員会の方針に従わせようと説得したものとみられ、してみると、原告らとしてはその従前の主張からしてこの説得に容易に従いえないであろうし、このような対立の解消は、冷静な話合いを通じて行われるべきものであり、それには必要な相当な時間を要するであろう。しかし、教育ことに同和教育の実践は緊急の課題であり、放置しえないことからして、加えて、右の対立が解消しないままに現に教育の場で混乱が発生し、教育の実践をできない状態となり、近い将来においてもそのような状態の再発が予想されるにおいては、教育行政の責任者としては、一応その方針に従つて教育行政を行うこととし、したがつて、その方針に従わない者を、その者の受ける不利益を最少限度に止めつつ排除することも、当時においては、教育行政としてはやむをえなかつた措置といわざるをえない。

吹田市教育委員会の同和教育に関する前記方針自体も、日々進展すべき同和教育の実践の上から更に検討される要もあろうし、同委員会ないし被告の採つた措置が充分でありかつ最善のものであつたか否かはなお批判の余地があるとしても、解同光明町支部員らの行為により生じた吹田二中での混乱状態が、中学校という教育の場で発生したものであり、事柄の性質上、その混乱が長期化し、或は反復されるにおいては、同校生徒の教育を受ける権利を不当に侵害し、回復し難い著しい損害を与えるおそれが十分あり、このような点及び上来判示の諸点を考え合せるときは、本件転任処分は最善の方法として積極的に妥当なものといえないまでも、次善の方法としてやむをえない処置というべきであり、このような意味で妥当な処分として肯認することができる。

原告らが学年度の途中において吹田二中から他校へ転任させられ、吹田二中での教育活動が中断されたことは明らかであるが、前記のような転任理由とその各転任先、後記のような公立学校教員の転任の性質、更には原告らがそれぞれ転任先での教育活動においてその自主性、独立性が侵されているとも認められないこと等を考え合せれば、本件転任処分をもつて、原告らが主張するように、解同光明町支部の不当な支配に屈してなされたと即断しえないところであり、原告らの教育の自主性、教育権の独立を不当に侵害し、その身分保障を侵した違法なものと解することは困難である。

なお、原告服部が吹田市公立学校教員として採用されるに当り、高田支部長が同原告から誓約書を提出させ、これを前提に教育委員会側に同原告を推せんしたことは前認定のとおりであるが、吹田市教育委員会は、原告服部(もともと同原告は同年度の大阪府教員採用試験に合格した有資格者である)を採用する際、右推せんそのものにより直ちに採用したわけでなく、面接を行う等通常の採用手続を履行しているのであつて、右推せんが有力な採用の資料であつたことは推測しえても、本件証拠上、被告ないし吹田市教育委員会が高田支部長の推せん(その前提として同支部長への誓約書の提出)に屈し、原告を採用したという的確な証拠はない。したがつて、右誓約書の提出ないし推せんをもつて、教育行政への不当な支配介入とすることは妥当でない。

以上説示したとおりであるから、本件転任処分が憲法二三条、二六条、教育基本法六条二項、一〇条一、二項に反する違法なものとの原告らの主張は採用しえない。

2、憲法一九条、一四条一項違反について、

前述のとおり、学校の教員には、憲法上、教育の自由が保障され、教育内容について自主的かつ独立して決定し、これにより教育を行う自由を有していることはもちろんのこと、教育行政に関し、自己の立場から自己の信ずるところに従い、自由にその意思を表明しうることも、その有する思想信条によつて差別扱いされないこともともに憲法の保障するところである(憲法一四条一項、一九条、二一条、二三条参照)。

したがつて、仮に、被告が、原告ら四名につき、「その特別事情とされる本件転任処分の原因ともいうべき各自の言動(原告阿部の傷害の事実を除く)」として主張している事実(この事実が仮に主張のとおりとしても)そのもののみをもつて、原告らの転任処分の直接の理由としたとすれば、それは、憲法一四条一項、一九条に違反する違法なものといえよう(なお、原告阿部が山口晴美及び池田一七子に対し傷害を与えたとの事実については、本件証拠上、これを認めるに足る的確な証拠はない。)。

しかしながら、本件転任処分は、前認定のとおり、吹田二中における混乱を収拾し、その再発を防止するためになされたものであることが明らかであるから、本件転任処分につき原告ら主張のような違法はない。

したがつて、原告らの右主張は採用しえない。

3、労使慣行、人事方針違反について、

(1)、吹田市において従来から、同市公立学校教員の異動に当つては、少くとも一週間以上前に本人に内示し、本人の意思を打診してこれを実施していたことは、当事者間に争いがない。

(2)、被告は、本件転任処分に当り、緊急を要し、事前に原告らの意向を打診できなかつたのであるから、何ら違法はない旨主張するのでこの点について判断する。

前記のとおり、学校教育は、国民的課題として、その自主性、独立性が尊重され、これが担当する教員についても、これを担保するため他の一般公務員等と異り身分の保障が必要であり、このような立場から、教育基本法は、教員の身分を保障し、その待遇の適正化を計ることを求めているのである(教育基本法前文、第六条二項)。したがつて、教員の人事権の行使も、教員の教育権を阻害しないようにすべきであるが、反面教員の個人の主観的意思に反する人事権の行使を全て禁止していると解するのは相当でない。換言すれば、合理的根拠を有する人事権の行使で、教育権を不当に阻害するものでなければ、教員はその人事権の行使に従わなければならないのである。このような教員の身分の保障を手続的に保障する意味で、事前にその意思を確認し、話合いを持つような方法がとられることは妥当であり、吹田市の教員人事における事前の意思確認手続の慣行もこの立場からなされていたと解することができる。

これを本件についてみるに、前認定のとおり、本件転任処分は、吹田二中の混乱を収拾するとともに、混乱の再発によつて授業が不能となることを防止するために、やむなく年度途中で急拠発令されたものであつて、その間、原告らにその意思を確認する余裕もないまま発令されたものである。加えて、前記吹田二中の混乱状態における原告らの一連の言動からすれば、被告が、仮に、その発令前において意向を打診したとしても、その話合いに応じないであろうことは十分推測されるのである。

このような状況のもとにあつては、被告が本件処分の発令に当り、原告らにその意思を確認しないまま転任処分を発令したとしても、実質的には、教員の身分保障を定めた前記法条の趣旨に著しく背馳するとも思われないから、本件処分が、その手続上、従来の慣行に違反したものであり、その非を非難され、同時に、被告としてその運用につき反省を要すべきことはいうまでもないが、これをもつて、本件転任処分を取消されなければならない程の違法があると解することは困難である。

したがつて、この点に関する原告らの主張は理由がない。

4、裁量権の範囲逸脱の違法について、

(1)、原告らは、年度途中における転任は、原告らの教育権はもとより、生徒及び父兄の教育権を侵害する旨主張する。なる程、現行の学校教育制度は、一年間を一期間としてその教育内容を定め、教育が実施されているから、年度途中での教員の交代(転任等による)は、教員として計画実施すべき教育が中断され、その教育が完全実施できなかつたことの不利益(教育権の侵害)は認められるし、また、教育を受ける生徒の側からしても、すべからく教育が、教員と生徒との人格的融和を通してなされ、これによつて初めて実のある教育が実現するのであるから、年度途中での教員の交代によつて受ける不利益のあることは肯定せざるをえないであろう。

しかしながら、本件転任処分理由とその必要性からみて、右不利益は、いずれも受忍すべき程度の不利益であるし(教員の教育権は、父兄の信託に基づくものであるから、父兄の教育権については教員のそれと同様に解しうる)、吹田二中では、原告らの転任後も、講師等によつて所定の教育内容が平穏に実施され、父兄も一応これを肯定的に迎え入れていることは、証人藪重彦及び同寺浦正一の各証言並びに前掲之第一六号証の一ないし三によつて認められるところであるから、原告ら主張のような不利益は、本件転任処分を不当ならしめる程のものではない。

そして、前掲甲第四八号証、乙第一五号証、原告服部本人尋問の結果によれば、原告服部を除く原告ら四名は、本件転任処分後、転任先でそれぞれ自己の専門とする担当科目を教授し、学年、学級の担任、校務分掌も担当しているのであり、原告服部については、同原告の転任先の山田中学校においては国語科担当の教員が過員となるため、昭和四七年九月一一日から同年一〇月二三日まで図書館の司書としての仕事を命ぜられ、本来の担当科目の国語の授業ができなかつたが、その後は、他の原告らと同様に専門科目の教授、担任等に就いていることが認められるのであつて、原告服部の被つた右不利益は、前認定の本件転任処分の理由とその経緯からみて、受忍すべき程度のものというべきであつて、本件転任処分による原告らの各転任先における処遇が妥当性を欠くものともいえない。

(2)、原告らは、本件転任処分は、藪教育長が、被告教育委員会の玉田教育長の行政指導を無視してなされたものである旨主張するが、前認定のとおり、本件転任処分は、被告の了解のもとになされたものであるから、この点に関する原告の主張は、その前提を欠き理由がない。

(3)、原告らは、右主張の外、本件転任処分によつて不利益を被る旨る述べるが、本件転任処分が、前認定のとおりの理由によつてなされたものである以上、本件転任処分の価値判断はもとよりのこと、これと関連する諸現象に対する価値判断批判は自由であつて、その判断者の立場によつて内容も異るから、仮に本件転任処分に関し、原告ら主張のような評価がなされ、これにより原告らが、主観的に精神的苦痛を受けたとしても、そのことが、直ちに本件転任処分を不当ならしめるものと解することはできない。

また、原告らが、吹田二中で、同和教育推進手当金二、五〇〇円を受けていたが、本件転任処分によりこれを受けられなくなつたとか、原告小川が、吹田市教組吹田二中分会責任者としての活動の場を失つた旨主張するが、本件転任処分によつて転補された学校が、いわゆる同和教育推進校でない以上、その手当の受給資格を失うことは当然のことであつて、そのことが、本件転任処分を不当ならしめることはないし(原告小川の養護学級担当給料調整手当についても同様である)、また、原告小川が、吹田二中での組合活動の場を失つたとしても、そのこと自体、何ら本件転任処分を不当ならしめる理由とはなりえない(もとより、組合活動を理由にこれを排除する意思のもとになされた転任処分である場合には、別問題であることは付言するまでもないであろうが、本件にあつては、かかる事実についての主張、立証もない)。

(4)  右説示してきたところによれば、本件転任処分は、前認定の本件転任処分の理由、その経緯その他諸般の事情を考慮してみても、本件転任処分が裁量権の範囲を超え、あるいはその濫用にあたるとは到底認め難く、他に原告らの右主張を認めるに足る的確な証拠はない。

したがつて、原告らの右主張は理由がない。

四、以上認定してきたところによれば、被告のなした本件転任処分は適法であつて、これに原告ら主張のような違法はないから、原告らの本訴請求は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 石井玄 田畑豊 窪田正彦)

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